《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -82-
チョッと遊鬱になった時などは
他人との触れ合いを避けたくなる。
一人になって、
誰とも関わりたくないと思い込む時がある。
人間関係は複雑だし、
相手の心の奥底など読めるはずもない。
私も最近、
信じていた人間から裏切りを受けたけど、
そんな時は、
信じていた深さが
深ければ深いほど落ち込みも大きい。
自分になんの落ち度があったのか?
この歳になっても悩む。
チョッと間違えると、
人間嫌い、
人間不信にまで陥りそうになる。
でも、
世の中って上手くできている。
皆さんにもご経験があるだろうけど、
そんな時こそ、
『えっ?この人が?』と思うところから、
100人力の援護がやってくる。
それと、
そんな時こそ、
周囲の人間の中で、
誰が本物のつながりで結ばれているか、
誰が目先のつながりで結ばれているかが、
濃い霧の中から、
はっきりと見えてくるものである。
最近は「関係性」という言葉多く使われているけど、
この本質を理解している人はほんのわずか。
世の中のほとんどは、
”関係”では結ばれていても、
「関係性」でつながっている人はほんのわずかということ。
「関係性」を築けているか否かは、
自分が困ったときに判るもの。
奇しくも、
今日は「禰宜塾・定例会(19:00~上野)」という場で、
この話をテーマに語ることになっている。
”関係”と、
「関係性」の違いも判らずに、
目先の利害だけで付き合っていると、
必ずそのリスクを背負うことになる。