第4,225号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「目の前の出来事の”受け止め方のコツ”を身に付けろ」 ー22-

 

想像する」ということは思いやり”とも似ている
思いやり”というのは私達の社会では大切なこと。
でもこれがどこか”独りよがり”のゾーンに入っていきがちっだ。
それは”思いやりの勘違い”に気付けないから。

例えば、

妻や恋人にプレゼントをしようとする時、
多くの人は、
『これなら”喜んでくれるだろうか?”』
こう考えながら品物を選択したりすることがある。
この意識が”独りよがり”だ。
もっというなら、
こういう意識が芽生えた時点で、
実は、
相手のことを考えているようで、
自分のことを考えていることに気付けていない。
自分が贈り物をすることで「喜んでもう」。
その”喜び”は贈られた相手が感じること
贈り物を手渡す前から、
『これなら喜んでくれるだろう!』とは、
いささか傲慢な自我の姿でしかなくなってきている。

これはサービス業などの接客でもいえる。
『お客様に喜んでいただく』
『お客様のお役に立つ』
なんとなく、
相手であるお客様のことを”思っている”ように聞こえるが、
これも傲慢な自我の姿でしかない。
お客様が喜びや嬉しさ感動すら感じるのは、
接客する担当者の作り笑顔でもなければ、
流暢な接客用語を用いた接し方でもない。
それは担当する人の、
自分の仕事に対する向き合い方だけが伝えられること
お客様の役に立って、
お客様に喜んでいただいて、
それが自社の魅力になり価値になるとリピートしてくれる
こんなふうに想像して行動するのは、
もう”思いやり”ではなく打算的な交換作業にしかならず、
その”思いやり”はやがて「重い槍」となって自らに返ってくる
だから役立つことをしているのに、
仕事が終わると、
肉体的な疲れよりも精神的な疲れを多く感じることになるだ。

 

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