《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「目の前の出来事の”受け止め方のコツ”を身に付けろ」 ー22-
「想像する」ということは”思いやり”とも似ている。
”思いやり”というのは私達の社会では大切なこと。
でもこれがどこか”独りよがり”のゾーンに入っていきがちっだ。
それは”思いやりの勘違い”に気付けないから。
例えば、
妻や恋人にプレゼントをしようとする時、
多くの人は、
『これなら”喜んでくれるだろうか?”』
こう考えながら品物を選択したりすることがある。
この意識が”独りよがり”だ。
もっというなら、
こういう意識が芽生えた時点で、
実は、
相手のことを考えているようで、
自分のことを考えていることに気付けていない。
自分が贈り物をすることで「喜んでもう」。
その”喜び”は贈られた相手が感じること。
贈り物を手渡す前から、
『これなら喜んでくれるだろう!』とは、
いささか傲慢な自我の姿でしかなくなってきている。
これはサービス業などの接客でもいえる。
『お客様に喜んでいただく』
『お客様のお役に立つ』
なんとなく、
相手であるお客様のことを”思っている”ように聞こえるが、
これも傲慢な自我の姿でしかない。
お客様が喜びや嬉しさ感動すら感じるのは、
接客する担当者の作り笑顔でもなければ、
流暢な接客用語を用いた接し方でもない。
それは担当する人の、
「自分の仕事に対する向き合い方」だけが伝えられること。
『お客様の役に立って、
お客様に喜んでいただいて、
それが自社の魅力になり価値になるとリピートしてくれる』
こんなふうに想像して行動するのは、
もう”思いやり”ではなく打算的な交換作業にしかならず、
その”思いやり”はやがて「重い槍」となって自らに返ってくる。
だから役立つことをしているのに、
仕事が終わると、
肉体的な疲れよりも精神的な疲れを多く感じることになるだ。