《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」 ー14-
相手の間違いを正してやることが、
自分の役目であり、
その人のためになっていると思い込む。
だから、
そうすることで、
相手は感謝してくれるか?
少なくとも、
相手がなにか自分の身になることを学んでいくものと、
ここでも”思い込み”が先走る。
自分のこれまでの人生を振り返ってみるといい。
自分の”間違い”を指摘してくれた相手に、
それを最初に指摘された時、
自分はどれだけ素直にその指摘を受け入れ、
『ありがとう!君の陰で気付けたよ』と感謝の姿勢を出せたか?
ほとんどの人はまず、
自分がとんでもない失敗をやらかした時以外を除くとは数少ないと思う。
逆に、
相手の間違いを指摘して、
『ありがとうございます。○○さんのお蔭です』と感謝されたことは?
これだって、
相手が何かとんでもないことをしでかした時なら別だが、
数少ないことだと思う。
人は皆、
「自分の間違いを指摘されるのを嫌い」、
「自分を理解してほしい」
「自分の立場を解ってほしい」と願っている。
”自分の話を聞いて理解し共鳴してほしい”というのは、
私達人間の最大の願望かもしれない。
自分の意見や主張をすること自体は大切なコト。
純粋にそうしたいと思うこともある。
でも、
いつも言っているけど、
”100人いれば100通りの意見がある”のが人の世だ。
たった一人の、
それもたかだか70年の経験だけで、
「あれが正しいこれは間違いだ」と決めつけるのはお門違い。
このことにもっと早く。
30代や40代で気付けていたら・・・・・と、
70になってやっと少しだけ解りかけてきた。