《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”考える”ということを考えてみる」 ー19-
どうしても「思考(考える)」というエンジンがかからない時。
人間だから誰だってそういう時はある。
いろいろな”考え”はフゥワァ~と浮かんでは来るのだが、
なにかしっくりこない。
確信がなかなかつかめない。
こんなふうに行き詰った時はどうするか?
私は歩くか?
畑仕事をすることにしている。
私達の身体中の細胞を動かしているのは筋肉。
その筋肉を動かしているのは血流だ。
人は死に至る時、
この血流の停止がサインといわれているほど大切な機能。
身体を動かすということは、
この血流を再始動させるために極めて重要になる。
“身体を動かす”とは「思考を活性化」させるということ。
雑念や不必要な考えが、
身体を動かすということで、
粗い網目の篩(ふるい)にかけられてふるい落とされていく。
さらには集中力を高めることにも役立つ。
不思議なことに、
歩いている途中や、
畑仕事をしているさなかに、
「パッ!」と閃くような考えが浮かぶことも多くある。
こういう経験を積んでいると、
「”思考(考える)”とは考え過ぎないこと」
これがどれだけ大切かと教えられる。
”白い紙に書きだす”という作業も、
紙に書きだして考えるのではなく、
”書き出す”という単純な作業は作業として向き合う。
まるでひたすら歩いたり、
土を耕すかのように。
”閃き”はそうした中から生まれる。