第3,866号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人は誰もが生まれながらに”感導力”を備えている!」 ー7-

 

目からウロコ”とは、
眼にウロコが着いていただけで、
元々は澄んだ眼を持っていたからこその言葉。
これと同じで、
感動力気付力)」も元々、
誰もが持っている力。

いつだったか、
西武池袋線で都内に向っている時、
地元の小学生の一団と出くわしてしまった。
正直言うと子供は嫌いじゃないけど、
電車の中では、
いろいろ考え事もしたいし、
アイパットでメールなどのチェックをしながら行きたいので、
本心はあまり歓迎したくない一団(ごめんなさい)。
案の定・・・・にぎやかな車内に大変貌(笑。
何が楽しいのか?
電車が少し揺れれば騒ぎ。
車窓に何かが見えるとまた騒ぎ。
まさにエネルギーの塊集団だ。

こんな彼らとしばらく同じ車内にいると、
『いつ頃からこういうエネルギーを失い始めたのだろうか?』と、
思わず自分に問いかけてみてしまった。
この子達にとっては、
みんなと一緒に電車に乗るコトでもう「感動」。
電車が揺れればまた「感動」。
車窓に何かが見えればまたまた「感動」なのである。
でも「感動」という言葉を使い慣れていないから、
口には出さないだけ。
本当は何も感じていないのに、
その場の雰囲気に合わせることが目的で『感動したぁ~』
などと軽く口走る大人よりはるかに純粋で”感動的”だ。

もしかしたら、
感動」って、
目の前の”出来事現象)”そのものに左右される心ではなく、
自分の”思い出の中に存在しているのかもしれない

 

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