《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-16-
細かく分析していくと、
どんな人でも、
平均よりも強い傾向が現れるところは持っている。
綺麗好きも時間に細かいことも、
病的なレベルは別としてそれ自体は決して悪いことではない。
ただ、
そういう自分を自覚しているかいないかということだ。
”自覚”していれば、
「自分はある種の人間や反応に対してイライラしやすい性格なんだ」ということも理解できてくる。
この”自分を知る”ということは、
「自責」で生きていかねばならない人生においては欠かすことが出来ない。
例えば、
自分が尊敬する上司や知人がいたとする。
自分はその人に対して敬意持っているから、
その人に対しても精一杯の礼を尽くしてきたし、
その人もまた、
自分を可愛がってくれ、
何かにつけて心配もしてくれていた。
こういう間柄の時は、
お互いに引き立て合う関係だから、
”悪感情”が生まれることはまず無い。
ところが、
何かの拍子に、
その尊敬する人が自分を蔑ろにしたり、
裏切り行為をしたらどうだろうか?
自分の中の尊敬は一気に侮蔑に変わるはずだ。
これまでの尊敬の念が強ければ強いほど、
反発の感情も強くなっていくはず。
こうなると、
これまでの相手に対する尊敬は何だったのだろうか?
相手が可愛がってくれていたからそういう気持ちになったのか?
お互いに利用し合う意味で、
そういう関係を見せかけで作っていたのか?
こういう感情の動きを、
人間社会では「感応性能と反応性能」と呼ばれ、
誰しもがこの”感情生活”の中で生きている。
続きはまた明日。