《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -34-
「直感」というと、
どうしても”当たり外れ”で結果を追いたくなる。
”当たる外れる”というのは「結果の可能性」でしかない。
昨日のブログでも伝えたが、
「直感」とは”自分が背負う「自責の行動指針」”だ。
例えば、
上司に提案書を出す時、
『これじゃぁ~ダメだろうなぁ~』と「直感」が働いたら、
次のプランを作成しておくことだ。
『これじゃぁ~ダメだろうなぁ~』と「直感」が働いたら、
『やっぱりダメだったなぁ~。俺の「直感」は当たる!』で終わってしまうようなものは「直感」とはいわない(笑。
いつも言っているけど、
未来には夢や希望などというものは存在しない。
あるのは「可能」だけだ。
例えば、
旅に出て奇麗な湖の景色を見ている。
視界に飛び込んでくる景色をすべて見ているのは事実。
でも、
その全てを観察し認識しているわけではない。
それでも一生懸命に見ていると、
目の前に見えてるものが変わってくる。
急に強い風が吹いて、
どこからか小枝が飛んできて、
今まで静かだった湖面に落ちて波紋が広がっていった。
これだけでもう状況は一変。
少し前までは存在しなかったことが、
環境の変化によって突然発生する。
「直感」で見るとは、
こういう時間の流れと共に変化しうる
”運命”を見ることなのである。
そこには自分が考えるより、
はるかに多くの「可能」が存在しているはずだ。
家庭や職場の中にも、
こういう「可能」が山ほど埋もれている。
日々の生活や業務を、
単に”作業”の処理で終わらせていると、
こういう「可能」の存在には気付けない。