第1,967号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「私達は多くの”思い込み”に左右されている!」-94-

熊本の災害で、
寄付をしたりしている人に、
『売名行為が!』とか、
『偽善だ!』とネット上で騒いでいる人がいるが、
個人的な意見としては、
わざわざ名前を出す必要もないかとも思うが、
他人が困っている時に、
どんな形であれ、
手を差し伸べた人を責めるような発言はと思う。

また、
逆にそういう人達に対して、
『そうだよ!売名行為だよ!
お前もお金出して名前売ったら!』と返すのも、
これまたかな。

私の顧問先の会長さんは、
東日本大震災の時、
5億というお金を
ご自身の名前も会社の名前も出さずに寄付され、
今回もまた、
同額のお金を寄付されたが、
同じように個人の名前も会社の名前も出されていない。
手続き上、致し方なく
誰かが提供者として名前を記さなくてはならないだろうが、
やり方はいくらでもある。

今回のこうした問題は、
どちらに非があるということではなく、
それぞれの「在り方」が表面に出たような気がする。

お金が出せる人はお金を!
物資を提供できる人は物資を!
肉体労働で時間と肉体を提供できる人は労働力を!
時間もお金も無い人は、
自分のやることをしっかりとやって、
恥ずかしくないように生き、
被災した人達の安全と、
早い回復を祈ることで十分なんじゃないかな?

どうも5年前から、
どこかこういう問題をチョッとした”思い込み”で、
お互い勘違いしあっているような気がしてならない。

人の心の大きさは、
月よりも太陽よりも大きなものかもしれないのに。
だって、
月が佇めば、
月明かりに酔いしれながら、
その先の、
月以上に広大な大きな世界まで想像できる。

そんな広い心をもった人間達が、
そんなことで罵り合っているから、
自然が、
『人間どもしっかりしろ!』といっているのかも?

こんな状況の時は、
人の心は刺々しくなるもの。
お互いそういうところからを配り合いたいものである。

 

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