《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「私達は多くの”思い込み”に左右されている!」-86-
人がかかる「病」で、
治らない「病」は一生に一度しかかからないが、
「病」は治るが、
”気”が病んで「病気」になると、
これはなかなか治りにくい。
こんなお話を以前(第1,951号・ブログ)にしたが、
その投稿を読まれたから、
『もう少し詳しく教えていただけないか?』と
ご要望があったので。
ただ、
私は医者でもなければ、
医学を専門的に学んできたわけでもない。
物事の”真理=「原理原則」”からの
とらえ方をお伝えしているだけなのでお間違いのないように。
要は、
自分の目の前に起こった不運な現象の
『見方を少し変えたらどうですか?』ということ。
具体的にはこういうこと。
たとえ今、
熱があって、
頭痛がしていて「病」にはかかっているとする。
ある人は、
『あぁ~熱があるぅ・・・・
頭も痛いどうしよう?明日は行けるかなぁ~』
こういう状態は、
「病」というより「病気」に近い。
だから、
治りも遅くなり、
場合によっては悪化させることだってある。
でも、
ある人は、
『明日ある。今日はいつもと体調が違うから早めに寝よう!』
こういうとらえ方をする人は、
ただの現象として、
目の前の発熱と頭痛という状況を感じ取っているだけ。
そういう人は、
すぐに眠りにつける可能も広がる。
『どうしよう?どうしよう?』と、
その状況だけに慄いている人も、
やがては、
眠りにつくはず。
(それでも心配で眠れないようだとかなり「病気」が重症)。
寝入っている時、
人の「実在意識」は全く働かない。
つまり、
熱がある。
頭痛がするという感情が働かない。
目が覚めて、
昨夜の状況を思い出して、
やっとそれに気付く。
ところが、
気が病んで「病気」の人は、
寝ている間も、
活動する「潜在意識」に苛まれるから、
寝付きも悪く、
ひどいと、
うなされて眠らないことだって起こる。
今は健康でも、
病のことばかりを気にしている人は、
病人と同じ。
病にかかっていても、
その現象を手放せる人は、
もうすでに病は完治に向かっているのと同じということ。