第3,208号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生はなんでも”無我夢中”で取組む奴が勝ち!」 -32-

 

自分が”夢中”になることというのは年齢を重ねる毎に変化する。
例えば、
若い頃は野球に”夢中”になっていた。
ところが、
ある年齢に来たら肉体的もしんどくなり野球を断念した。
これは”断念”したのではなく、
「野球はそのへんで卒業しなさい!」という天からのシグナル。
そして就職してデパートマンとなったが、
そこでは売場経験より、
人事部というところに籍を置いて、
もっぱら社内研修の仕事ばかりで、
とてもデパートマンらしからぬ世界の中で、
プツンと何かが切れて、
その後は大手ファスト・フードの店長として、
店舗運営の基礎を身に着け、
50歳の時に起業。
最初に立ち上げた会社はものの1年足らずで倒産させ、
今は2社の経営者として14年目を迎えている。
①野球→②デパートマン→③FF・店長→④起業・経営者、
自分では意識していなかったが、
いま振り返れば、
①から④は全てが根底でつながっていた気がする。
スタイルも内容もすべてが異なるように見えるが、
実は”たった一つのこと”を、
さまざまなフィールドで表現しているだけのこと。

”夢中”・・・
まさに「夢」の「中」そのままに過ごしてきた気がする。

ある方から教えられた言葉、
「”夢”は遠くにおいて追い求めるものでもなければ、叶えるものでもない。”夢”は今やるべきことのために存在するもの!」
この言葉の本質がやっと解りかけてきた。

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