《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「私達は多くの”思い込み”に左右されている!」-69-
昨日のブログで、
「自分を変える必要など無い!」というお話をしたけど、
どうも私たちは、
心や肉体そのものを自分と”思い込んで”しまっているようだ。
心や肉体そのものが、
いったい自分とどんな関係にあるのか、
こういうことこそ、
感情論ではなく、
「原理原則論」で振り返ってみたいものである。
私達が、
私たち自身と”思い込んでいる”この
心と肉体は、
よくよく考えてみると、
単に人間として、
人間組織の中で、
問題なく生きていこうとするために、
いろいろな方便、
仏教でいうところの「加行(けぎょう)」のようなもの。
つまり、
本来の修行に入る前の準備的な行動。
人生が、
最後の最後に来る
試練(死を迎えた時)のためにあるとしたなら、
毎日のように起こる”出来事(現象)”は、
毎日毎日を、
練習しながら試されているようなもの。
難しく言うなら、
心や肉体は、
私達のモノとしての存続と、
人としての心の部分の存在意義を助ける
「付属部品」のようなもの。
だから、
いくら演じた自分を創ったところで、
すべてが”必然”のごとく起きてくる。
それなら、
肩に力を入れずに、
物事をシンプルにとらえ、
素直に!
明るく!
正直に!
生きていくほうが、
人生は楽しく素晴らしいものになると思うんだけど。