第1,942号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「私達は多くの”思い込み”に左右されている!」-69-

 

昨日のブログで、
自分を変える必要など無い!」というお話をしたけど、
どうも私たちは、
心や肉体そのものを自分と”思い込んで”しまっているようだ。

肉体そのものが、
いったい自分とどんな関係にあるのか
こういうことこそ、
感情論ではなく、
原理原則論で振り返ってみたいものである。

私達が、
私たち自身と”思い込んでいる”この
心と肉体は、
よくよく考えてみると、
単に人間として、
人間組織の中で、
問題なく生きていこうとするために、
いろいろな方便
仏教でいうところの「加行(けぎょう)」のようなもの。

つまり、
本来の修行に入る前の準備的な行動。
人生が、
最後の最後に来る
試練(死を迎えた時)のためにあるとしたなら、
毎日のように起こる”出来事(現象)”は、
毎日毎日を、
習しながらされているようなもの。

難しく言うなら、
心や肉体は、
私達のモノとしての存続と、
人としての心の部分の存在意義を助ける
付属部品」のようなもの。

だから、
いくら演じた自分を創ったところで、
すべてが”必然”のごとく起きてくる。
それなら、
肩に力を入れずに、
物事をシンプルにとらえ、
素直に
明るく
正直に
生きていくほうが、
人生は楽しく素晴らしいものになると思うんだけど。

 

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