第3,136号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「己で切り開く運命はいつでも逆転可能!」  -11-

 

今日は少し長くなりますがぜひ最後までお読みください。

まもなく9年目を迎えようとしている、
あの東日本大震災でかけがえのない命を奪われた方々。
そのご家族が直面した「運命」は、
正に、
外から押し寄せてきた圧倒的な力によって一変したといえる。
私のクライアント様で岩手県の大槌という地で、
ほとんどのご家族を牛われたⅯさんという某企業の会長さんを務められる方がおられる。
Ⅿさんはその時、
幸いにもその地を離れていた息子さんご夫妻を残し、
全てのご家族を失われた。
今は社長さんを務められる息子。
息子さんご本人も、
大きな痛手を受け、
私のセミナーに受講生としてこられた初対面の時は、
今にも崩れそうな自分を必死に耐えていらしたのを覚えている。
そんな息子さんから、
後に、
その時のお話を聞かせていただいたが、
お父様であるⅯさんは、
あの日から来る日も来る日も、
海岸沿いにご家族のご遺体を探しに歩いたという。
夕日に輝く大槌の海は、
そんな大惨事がなかったかのように美しかったそうだが、
Ⅿさんはしばらくの間、
夕日を見るのが怖くなったという。
何の咎(とが)もない人達が、
突然、命お奪われ、
それまで共に歩んでいた人生街道から姿を消した。
そんなことがあってよいのか?
あの人達の人生はなんのためにあったのだろうか?
残されたⅯさんやご子息は、
それをどう受け止めたらよかったのだろうか?
その答えは必ず存在していると私は信ずる。
なければおかしい!
なければ空しすぎる。

今でも息子さんとお逢いするたびに、
初めてお父上に出逢った時のことが鮮明に思い出される。
そして、
人は姿形は消え失せても、
全てが無に帰するわけではない。
人の命はこの宇宙の中で、
いつまでも強いエネルギーとして輝き続ける。
そして誰にでも、
帰っていく場所、
命の源となる場夜が必ず存在していると信じてやまない。
Ⅿさんと初めてお逢いした時、
Ⅿさんからその時の思いを綴ったものをいただいた。
その中にはⅯさんの感傷でも慰めでもない、
強い”想い”を感じさせられた。
それはあの日、
同じような「運命」の力を受けてしまった、
全ての人達が感じた“想いの真実”に他ならない。

今、
Ⅿさんも息子さんも事業を通しながら、
社員教育や、
地元のバスケットチームの支援を通じて、
生きること、
家族や仲間の大切さを広めている。
深い傷を負ったからこそ、
自分や家族という枠を超えて、
もっと大きな広がりの中で、
見えないつながりで結ばれた同じ痛みを経験した人達に、
「在り方」の大切さを伝えている。
それが何よりの供養であり、
いま”やれること”の大切さを伝えているように感じる。

私はこのⅯさん親子を見ていると、
すでに、
「逆転運命」を歩まれているように感じてならない。

合掌!

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