《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「比べず・競わず・争わず」に自分を磨く! -3-
いつのブログだったか?
”相対性不幸の原理”の話をした。
そう!
いつも他人と比較して、
自分の幸不幸を測っているような人。
こういう人は、
時代の流れにも置いて行かれる。
これだけ情報とモノがあふれだしている時代には、
”スペック(仕様)”というものには何の価値も存在していない。
『この製品はここが凄いんですよぉ~!』と売込んだところで、
1㎜でもそれを超える製品が出てくれば、
そのモノの価値は一瞬にして地に落ちる。
だから、
”差別化”などという言葉も既に死語になっている。
サービス業の世界でも、
コンペチター(競合)などという用語が使われていたのは
大昔のこと。
他社や他店と競争して、
№1を目標にしているような
企業や店舗はどんどんと淘汰されていく。
それは、
他人や他社と比較しても、
自分自身の”価値”というものが伝えられない時代だから。
私は音楽のことは専門ではないが、
音楽の世界には、
”絶対音感”と”相対音感”というものがあるそうだ。
多くの人は、
基準となる音階と比較することで、
音階というものを相対的に識別していくらしい。
これと同じように、
私達が物事を判断する時、
自分自身が「絶対的基準」を持っていないと、
”相対的評価基準”で物事を判断する習慣が身についてしまう。
自分が幸せか否かも、
自分が優秀か否かも、
自分が恵まれているか否かも、
無意識のうちに、
他人と比較して判断してしまう。
だから、
そういう人の評価基準は、
いつも周囲の現象によって左右されてしまう。
そんな他人からの評価より、
自分自身で持つ”絶対的評価基準”こそが
「独自化最優先」の今の時代には不可欠な条件といえる。