《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は自分自身で創造するもの!」 ー5-
誰でもが少しは持っているであろう”コンプレックス”。
この正体はいったい何なのだろうか?
昔、
野球をやっていた頃、
死んだ親父に言われたことがある。
私は幼い頃から身長があまりなく、
スポーツをするにはどうしてもハンディを感じていた。
手のサイズも小さく、
今でもゴルフのグローブは23㎝というメンズの中では一番小さいサイズを使用しているが、
それでもまだ余ってしまうほど・・・・。
だから野球では変化球が投げにくかった。
そんな時、
親父の言葉は、
『それはお前のコンププレックスだ。
コンプレックスというのは、
”ここを磨きなさい!鍛えなさい!”という
目印のようなものだ!』・・・・・こういわれたけど、
身長や手のサイズが鍛えたところで、
そうそう伸びたりするものではない。
すると、
『”鍛えなさい!”というのは、
無いものを案じて頭を抱えているのではなく、
いまあるものでどう向き合うかを考えろということだ!』と怒鳴られたのを覚えている。
その頃の私は足だけは自信があった。
だから誰よりもベーランは早かった。
「目印(目標)」は無いよりあった方が良い。
どんな山道でも迷わずに進める。
自分自身の”行動指針”になってくれる。
この他にも人には鋳型にはめ込まれたような、
つまり、
身長や目の色とか、
出身地とか、
育った家庭環境とか、
”変えられない宿命的コンプレックス”もあるだろうけど、
どうにか向き合える部分もたくさんある。
その向き合える部分から、
一つひとつ”やれること”をやればよいだけだ。
それが「目印」を活かすということになる。