第2,454号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-58-

 

「人生の”目的”」を考えた時、
多くの人は、
”目的”は必ず「在るものだ!」と思いがちだ。
もしかしたら、
そんなものは、
みんな”後付け”でやって来るのかもしれない。
私達は、
人として生まれ、
学び、
成長し、
成人して、
やがては、
誰もが最期を迎えるようになっている。
だったら、
他人様に迷惑をかけずに、
懸命に生きさえすれば、
それだけで十分なような気がしないでもない。

ある受講生がこんなことを話してくれた、
『私は入社して25年。
管理職にはなっていますが、
今でも結局は会社の中で歯車の一つのような気がします!』
こういって、
受講当時の悩みを語ってくれた。
でも、
冷静に考えれば、
誰だって、
みんな社会の”歯車”にすぎない。
そんな”歯車”の一つひとつがあるから、
社会全体が成り立っている。

こんな”歯車”の一つであることが、
恥ずかしいことなのだろうか?
不幸なことなのだろうか?
この世の中は、
”歯車どおし”が、
時に絡み合い、
時に、
空回りしながら、
回っているような気がする。
そんな中の一つの”歯車”が突然無くなってしまったら、
それまで、
その”歯車”に接点を持っていた、
全ての”歯車”の回転が狂いだす。

”歯車”に過ぎない自分を悲観するのではなく、
”歯車”として、
自分が「やれること」はないかを考えた方が、
その”歯車”を、
今よりも、
大きく強く回転させることができるような気がするが・・・・。
いかがだろうか?

禰宜猛のアバター

投稿者


最近の投稿


カテゴリー