第2,452号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-56-

 

「人生の”目的”」は人それぞれで、
どんなことだって良いと私は感じている。
何が良くて、
何が悪いではなく、
「これが自分の人生の目的だ!」と思えれば、
なんだって良い。
でも、
それが、
変に偏ってしまうと、
人生のバランスを失うことになりかねない。
たとえば、
家庭を持つ主婦が、
家族のために家事をこなすことこそが、
自分の「人生の”目的”」だと、
それだけに偏ってしまうと、
子供が独立してしまったり、
ご主人が仕事で忙しく、
会話も無くなっていくと、
『私はいったい何なの?』と感ずるようになる。
”家族のためだけに!”を「人生の”目的”」にしてしまうと、
こういう結果にもなりかねない。
誰かのために尽くすことは、
意義のあることだけど、
自分自身の人生を忘れてしまわないことだ。
誰かのために、
誰かの役に立つために、
言葉では耳触りが良く、
一般的には”良い”とされることに、
”不幸になる芽”が潜んでいることが多々ある。
まずは、
自分自身が不幸を感じないことだ。
自分の「人生の”目的”」を果たしているつもりなのに、
イライラ感が高まったり、
辛さを感ずることがあるのなら、
それは、
どこかに無理があるから。
どこかで自分じゃない自分を演じているから。

誰かのために”お役立ち”。
そんな言葉に踊らされることなく、
自分自身のために、
まずは”お役立ち”することだ。
自分だけの人生なのだから。

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