第2,263号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》

「”悩み”を考える!」 -17-

 

仏性セミナーでこんな言葉を教えていただいたことがある。
それは「鏡の心」。
心の中に怒りを込めている人が、
鏡に向かうと、
その顔はもちろんのこと、
姿形からも”怒り”のオーラが漂って写しだされる。
でも、
その人が鏡の前から離れると、
鏡はまた、
元の静かな水面のような表情を取り戻す。

世の中には、
頭にくるような輩は山ほどいる。
善人ぶって、
笑顔を振りまきながら近づいてきては、
他人の懐からお宝を盗み取るように、
知らず知らずのうちに、
私欲の奥底に隠しとってしまうような奴もいれば、
自分のことしか考えず、
起こす行動は損得勘定だけで決めているような奴。
どれもこれも、
怒りを超えて、
悲しみさえ感じてしまうような哀れな輩。

そういう人と接したら、
『懐深く、優しく包み込んであげなさい!』
こんなことを語る人もいるけど、
そんなことして、
自分の気持ちを抑制しすぎたらこちらが病になるだけ。
腹が立ったら、
怒鳴り飛ばしてやれば良い。
嫌なことをされたら、
恨めば良い。
それが人間だ。

でも、
それは一時に抑えること。
この抑制だけはしないといけない。
なぜなら、
そんなことで尾を引けば、
自分がさらに痛むだけ。
「鏡の心」のように、
一時過ぎたら、
そういう輩は忘れることだ。
そして、
その後は近づかないこと。
被っていた仮面を天がはぎ取って、
その正体を見せてくれたと受け取ることである。

『あぁ~また怒ってしまったなぁ~』
『また憎んでしまったなぁ~。修行が足りないなぁ~』などと、
自分を省みる必要などどこにも無い。
そんなことは時間のムダというもの。
それよりも、
早く自分の心を切りけることの方が大切。

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