第2,258号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”悩み”を考える!」 -12-

 

セミナーの受講生とか、
顧問先のスタッフで、
『私は我が強くて・・・こういうところが自分の嫌なところなんです』と嘆く人がいる。
私はそうは思わない。
我が強いことは決して悪いことではない。
”我が強い”のと「我執が強い」こととは別物だから。
どうも多くの場合、
この二つを一緒にしている人が多くいる。
「我執」とは欲深い人のこと。
私達には必要な”我”がある。
無礼なことをされたら怒る。
こうと決めたこと、
他人と約束したことは信念をもってやり続ける。
よく、
『先生は私のメンターです!』とか、
『私は先生をリスペクトしています!』と
軽々しく口にする人がいるが、
まぁ~経験上から言うと、
こういう人間は2~3年もすると
手のひら返したような行動をとって来る。
表面的な人間の代表選手のようなもので、
良い意味で”我”を持っていない。
持っていないから、
いつも自分をストイックに見せて、
”我”の強さを強調しようとしてくる。
こういうのを「我執の生き様」というらしい。
つまり、
信念や覚悟が欠如している。
だから言葉や表情や態度でごまかそうとする。
主体的に魂が発動していない状態と同じで、
ころころ変わる。

”我”が強くても良い。
自分の信念をいつもしっかりと持てているのだから。
逆に、
”我”が弱くても良い。
”我”が弱いと思われているような人は、
柔軟で謙虚さがある。
大切なことは、
”軸”をブラさないことだ。
昨日まで絶賛していたことを、
何も言わずに、
こそこそと、
今日はまるで反対の側に回るような生き方は、
戦国時代の世から嫌われることになっている。

禰宜猛のアバター

投稿者


最近の投稿


カテゴリー