《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”悩み”を考える!」 -9-
”相対的欲望”に対する「絶対的欲望」。
人の行動原点は全ては”欲”である以上、
”欲”を持つこと自体は決して悪いことではない。
ただ、
その”欲”が、
単に己の五感を刺激するもので終わっては
意味がないということ。
例えば、
誰かと競い合って一番になる。
大きな家を買う。
出世して仲間よりも上の地位に行く。
起業したら上場することが目標とか、
山登りを始めたら、
頂上に行くことが目的と思い込みがち。
商売を始めたら、
その商品やお店の価値を伝えれば、
お客は必ずリピートしてくれる。
人間関係なら、
誰かの役に立つことをすれば、
『役に立ってくれた!』と感じた人は
必ず強い絆で結ばれるとか、
これらはどれもこれも、
実在しない”影”を追いかけるがごとく、
結局は、
その時だけの短絡的な思い込みにすぎず、
結局は、
相対する何かと比較しているだけのこと。
それよりも大切なコトは、
「絶対的」な存在を追い求めることだ。
自分の人生にとって「絶対的」な存在とは、
《自分自身》でしかないはず。
一番になることより、
独自性からなるオンリー1であること。
山登りに例えるなら、
一歩一歩、
しっかりと愚直に懸命に踏みしめながら歩むこと。
”価値”を押し売りするのではなく、
ひたむきに取組む己の姿に、
誰恥じることのない行動をしていれば、
あなたの”価値”は人それぞれに受け止めてくれるはず。
これが”相対的欲望”と「絶対的欲望」の違い。
私達は、
他のものと比較することでしか、
己の幸せを感ずることができない哀れな性を持ち合わせている。
それこそが「煩悩の”悩み」の種。