《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「いまなにか”悩み”あるなら読んで欲しいシリーズ」 ー48-
仕事をしながら”叱責”を望んでいるような人はいないはず。
昨日のブログでも書いたが、
「責任」というものを、
誰かに”叱責される”こととか、
自分自身っで会社を辞めることとかとは全く異なる。
これが理解できていない人は、
時々、
自分の決断に対する「責任」を
無意識なうちに誰かに委ねようとする”誘惑”にかられることがある。
そんなことをしていると、
結局は自分自身の力を自分で削ぎ落しているようなもので、
自分で自分の人生を生きる権利を放棄し、
自分で自分を無力な被害者に変身させてしまうだけだ。
「責任を取る」とは、
やってしまったこと。
言ってしまったことに対して”叱責”を受けたり、
懲罰を受けることではなく、
まずは、
『それは私が勝手にやってしまいました』
『私は間違いなくそう言いました』
『それは私がやりました(させました)』
こう自分を振り返り、
「素直」な気持ちで「正直」に相手に伝えられるかということ。
ついつい誰かを責めたくなる。
ついつい、
『それって私が悪いってことですねぇ~』と開き直りたくなる。
それは行動心理学か言うなら、
自分の「精神」が「独立」はおろか、
”自立”さえもしていないことになる。