《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー249-
天風哲学の中に「不偏愛」ということが出てくる。
このことを直訳すると、
「何ものをも憎まざる公平無私の純正なる愛情をもって、
人は元より、
物にもありとあらゆるものに対して相接することである」
こういうことを伝えると、
表面的に捉える人は、
”自分を殺してまでも他人様の為に生きなさい”といったように受け止めがちだが、
そんな話をしているのではない。
例えて言うなら、
私達は組織の中でしか生きることが出来ないにも関わらず、
”組織”というもの中に入ると、
自分とは意見や考えの異なる人を見つけるとすぐに敵対し、
その相手の言動が引き金になって起きた「感情」を、
自分で勝手に、
”相手への憎しみ”という「感情」に変化させてしまいがちだ。
これはその人の「愛」に”自我という「偏り」”があるから。
人として生きている以上、
”組織の中”でこれからも活きていかざるを得ない。
万が一にも、
自分の”意思”とは異なる相手が現れたとしても、
そこは、
自分の”強い「意志」”によって受け止めていきたいものである。