《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー228-
私は若い頃、
”時は金なり”と教えられてきたが、
天風哲学に触れてからはその考え方が大きく変化した。
特に、
ビジネス社会の中で生きる、
”実利主義者”と呼ばれるような人達の中には、
この”時は金なり”のこの言葉に、
絶賛的な共鳴を惜しまない人も多くいると思う。
でもよく考えてみることだ。
”金”は一時的に多くを失うことがあっても、
その何倍もの”金”を取り戻すことは可能だ。
ところが、
私達に唯一公平に与えられている、
「時」というものはどうだろう?
一度、
失ったら、
もう二度と、
今この目の前の「時」を取り戻すことは絶対的に不可能になる。
私達が繰り返す一呼吸一呼吸。
目の前の一瞬一瞬。
これこそが「時」だ。
もっというなら、
いっさいの事柄の完成を観察(看察)すると、
それは「金の力」で成し得たように見えても、
その真実は、
要約すれば全てが「時の力」でしかないことが見えてくるはず。
さらにいうなら「時は”命”なり」といえる。