第5,152号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー227-

 

私達は良く”勘違い”や”思い込み”をしがちだ。
これは人間だから仕方の無いことではあるが、
中には”同情の勘違い”というのから抜け出せないのもいる。
同情の勘違い”とは、
自分の”思い込み”や”勘違い”に気付かないどころか、
自分自身の受け止め方や考え方に、
自分自身で”同情して自己保身”に走る人のことを言う。
例えばこういうことを口にする人。
『解っているんだけどねぇ~』
『やりたくないわけではないんだけどぉ~・・・』
こういう言葉を口にして、
自分が”やりたくない言い訳”を、
さも「やれない理由」のように語る人だ。
こういう人に対して天風先生はこう苦言を呈されている。
世の中の真理摂理というものは同情も弁護もしてはくれない」・・・・・と。
どういうことかというと、
自分が”やりたくない言い訳”を、
さも「やれない理由」のように語る人というのは、
向き合ったことに対する「受け止め方」がまず消極的だから、
考え方」も自ずと消極的になり、
その先は必然的に行動」も逃げ腰になる。
そして、
『やりたくないわけではないんだけどぉ』と、
いくら口先で”同情”を訴え求めたところで、
何も変わらず、
ただ自分のそうした消極的な意識)は、
自ずと「肉体生命に悪影響を与え、
驚くほど良くない変化が待ち受けていくことになる。

 

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