《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー222-
私達の行動原点はその全てが”欲”から発信していく。
”欲”を持つこと自体は悪いことではない。
ただ、
これが「汚れた卑しい”欲”」といった、
価値の低い”欲”はまず満たされることはない。
この”低劣な欲”とは、
自分勝手な手前だけを本位とした、
意識や心持から生み出された”欲”のこと。
金品に関することとは限らず、
『あんな使えない部下はどこ他の部署に行ってもらいたい』
『あんな上司はほかの誰かと変わってくれないものか?』
こういう人間関係においても言えること。
こういう願望はまず叶うことはない。
だって、
自分は何の努力もせずに、
”叶うことのないこと”ばかりを望んでいるのだから、
至極当然のことだ。
使えない部下も、
人でなしのように思える上司も、
全ては、
「自分に何かを指し示してくれている存在」に変わりはない。
それに気付けず、
目の前の状況だけを、
自分の思い通りにしようとすればそんな人生は、
生きる興味も失われ、
結局は一時的に自分の望まぬ人物が目の前から消えたとしても必ずその代わりがやって来る。
そんな生き方は自分自身で自分の人生を価値の無いものにする。
”低劣な欲”は持たないに限る。