《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー187-
人生を歩んでいると、
誰でもがさまざまな”病”に見舞われる。
人は絶え間なくこの”病”と闘い続けているのかもしれない。
言い換えるなら、
「健康」とはこの”病”に打ち勝っている時の状態だろう。
”病”とは、
定義するなら「自分がその生命の存在状況に違和感を感じている時」といえる。
ところがこれは、
私達の「生命」が、
病的刺激と闘っていることを意識した状態だけのことで、
「病気」になっているわけではない。
これを解り易くいうならこうなる。
私の知人にもレベル4の癌を患っている人が数人いるが、
この人達は癌という”病”には見舞われているが、
決して「病気」に見舞われているという意識はない。
「気」はしっかりと持って、
そうした環境下の中でも、
自分の「やれること」を無我夢中で向き合って生きている。
つまり”病”に「気」が負けてはいないのだ。
ところが、
五体満足でも、
日々の生活に不満だらけで、
自分を取り巻く他人や環境に、
怒りや、
妬みや、
悲しみだけを感じて振り回されている人も多くいる。
こういう人達は、
”肉体”は健康そうに見えるが、
「気」が”病んでいる”から、
やがて大きな”病気”に見舞われることに気付けないままでいる。