《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー170-
天風哲学の学びの中に「不偏愛」という言葉が出てくる。
この言葉は、
”何物も憎まず、
公平無私の純正なる愛情を以って、
人にもモノにも、
ありとあらゆるいっさいに相接すること”という意味だが、
とかく私達は、
自分が気に入った相手、
自分に都合の良い相手には笑みを振りまき、
そうでない相手はどこかで排除しようともがく。
そして、
自分のことはさておいて、
”他人”や”環境”のせいにして自己を正当化しようと諮りたがる。
この「不偏愛」とは、
単に、
みんなに優しくしろとかそういうことを伝えているのではなく、
自分自身の心の中に、
「無私無我」から離れていくような偏りが在ってはならにということを教えてくれている。