第5,053号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー128-

 

私達の目の前にはさまざまなことが起こる。
でも、
その目の前の”出来事現象)”の一つを、
100人の人が向き合った時、
そこには”100通りの受け止め方”が生まれいる。
ある人の受け止め方では”辛く苦しい”と感ずることも、
ある人からすると、
それは「自分に与えられたチャンス」だと受け止める人もいる。
これはどちらが良くて、
どちらがいけないという話ではなく、
どちらが自分の次につなげやすくなるかということ。
天風先生はこのことについてこう語られている。
この世の本質が自然から作られ、
自然の中には計り知れない働きかけを行う霊智があり、
その霊智を見て感ずることが叶わない私達の
その受け止め方のわずかな違いから、
その先に小さな差が生まれてくる。
自分というものをしっかりと活かしていくには、
自分自身のの在り方を取り換えることが、
何よりも重要になる
・・・・・と。
例え病に侵されて、
先の宣告をされたとしても、
それを心配しながら怯えて生きることより、
”というものから、
自分の「」を遠ざけて活きることの方が、
死ぬ刹那までその「」は安らかでいられる。
所詮、
人は「心一つの置きどころ」で全ては決まる。

この言葉を初めて目にした時、
まるで修行僧が聴くような話に思えてならなかったが、
人生を73年生きて、
やっとこの言葉の穂先にある輝きが見えてきた気がする。
何度この言葉に助けられたことか・・・・・・。
感謝しかない。

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