《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー127-
若い頃、
時々、
仕事や人生に躓くと、
『人生って何だろう?』
『何のために生きているのだろうか?』と、
頭を抱えたことがある。
そして、
そんな意識の自分から脱却しようと、
多くの本を読み漁ったり、
さまざまなセミナーを受講してみたり、
そうすることが、
「意味の在ること」だと思い込んでいた時があった。
”人生は修行”だと言われるが、
それは1時間とか2時間とか、
決められた時間に、
意識してそう向き合うことを指しているのではないことも、
天風哲学から学ばせていただいた。
そんなことをして、
人生の貴重な時間を無理して割く必要など無かったのだ。
私達の身の回りには、
気付き、
学び、
成長の機会は余りあるほどあるということ。
先ずはそれに気付くことが何よりも大切。
そのためには、
目の前に現れたことを全て素直な気持ちで受け入れることから。
一見すると、
”意味の無いように感ずる”ことも、
苦手だと感ずることも、
他人からの耳の痛い忠告も全て、
逃げずに、
素直な気持ちっで向き合うところからしか、
その大切な機会をモノにすることはできない。