第5,047号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー122-

 

私達の生活の中には、
自分以外の”相手”という存在が誰にでもある。
この”相手の存在を活かすも殺すも自分次第だということも、
私は天風哲学から気付かされた。
向き合った”相手”から気付きを得ることもある。
多くを学ばせてもらうこともある。
ところが、
これが一転していく場合もまた多くある。
仕事をしていく上で”会社に貢献しよう”とか、
接客業でも”お客様のために”とか、
こういう意識は言葉にすると耳に心地よく聞こえるが、
実はこれが私達に多くのストレスを生み出していく。
天風先生の著書の中に、
心がその対象となる相手というものに決して囚われない状態。これこそが、
物事に向き合う時の絶対的な気持ち意識)」だと。
これは、
自分が向き合うべき「」に対して、
そこに、
誰かのためにとか、
誰かへのお役立ちを意識すると、
その心に雑念とか妄念が入り込んで、
その「本質を見失いがちになるとの教えだが、
これは行動心理学の上でも明らかにされているもので、
現代人の抱える、
精神的な病の原因の多くはこういうところからきているという。

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