《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー97-
私のセミナーではよく「有難う」の”意味”について話をする。
『”有難う”ってどういう意味ですか?』と問うと、
ほとんど多くの人が「感謝の言葉です」と応えてくるが、
それは「どういう時に使う言葉ですか?」の問いに対してなら正解だが質問の正しい答えにはなっていない。
「有難う」には二つの意味が在る。
一つは、
「難(がたし)」という文字が示す通り、
困難や苦難が目の前に現れた時こそ、
『有難う!』と心の中で呟くことだ。
なぜなら、
私達は人生の全ての日が”平穏無事”であるとしたら、
生まれた時から1㎜たりとも成長することは無いのだから。
そういうことと逃げずに向き合うからこそ、
何かの気付きが得られ自己成長につなげていける。
二つ目は「有(ある)」だ。
この”有る”は「在る」に通じており、
文字通り、
私達は何人たりとて、
「”一人”では生きられない」ということを指し示している。
天風哲学ではこのことにこう触れている。
「自分だけの力で生きているとしたら人は死ぬことはない。
自分の力で生きていない証として、
数十年経過すると、
時と共に現在の自分とは同じでなくなっている。
自力ではなく他力で活かされているからこその変化だ」と。
そのとおりだ。
目の前に起こることや出逢った人が、
自分が良くも悪くも感じていても、
そこから何らかの刺激をもらい、
「気付きを得て生きている」ことは間違いない。