《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー51-
私が昔、
亡父から天風哲学を問われた中でこんな言葉あった。
「我在るところ常に光あらしめん
我行く処にまた光明を点ぜん」
これから就職をするという前夜だったと記憶しているが、
なんとも難しい表現で、
よく理解できなかったことだけを覚えている。
亡父はこの言葉をこう説明してくれた。
『これは、
”人は常に誠の心を持って他人を愛する気持ちを忘れずに接していれば、期せずしてそれは光明となるのが必至だ”ということを教えてくれている』・・・・と。
説明を聞くが、
余計に宗教的な感覚を覚え腑に落ちなかった。
あれから55年。
私もすでにその時の亡父の年齢をはるかに超え、
さまざまな人生経験の中で、
やっとこの言葉の意味が解りかけてきた気がしている。
こういう言葉を表面的に受け止める人は、
自分のことはさておいて他人に尽くせとか、
誰かのお役立ちの意識を持って生きなさい・・・・・、
というような受け止め方をするだろうが、
この言葉はそういうことを指し示しているのではないと、
私は解釈している。
「誠の心」とは・・・自分自身に嘘偽りのない心。
「他人を愛する気持ち」とは・・・自分がしっかりと「やれること」をやって周囲に迷惑をかけない。
「期せずしてそれは光明となる」とは・・・・、
何か目的や夢など思い描かなくとも、
そういう生き方をしていれば必然的に、
周囲が暖かく迎え入れてくれて応援してくれる。
人生における”人生哲学”とは、
結局は、
「全ては自分」というところにその原点が在るということ。