《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」 ー105ー
私達の”心配事”の一つに”加齢”がある。
これは誰もが避けることのできないものの一つだが、
歳を重ねるのは人生の年輪を増すこととはいえ、
その”年齢”そのものにどれだけの価値があるというのか?
私もすでに72年と半年生きているが、
常に自分は”只の爺”でしかないと考えている。
ただ、
この”只の爺”も、
世にいう「ぬれ落ち葉」には成らぬよう日々努力は重ねている。
「ぬれ落ち葉」とはよく言ったもので、
これは定年後の夫の姿を揶揄した言葉で、
定年を迎えるとポッカリと心に穴の開いたようになり、
することと言ったら、
TVの前に一日中座り込んでいるか?
奥さんの後を嫌がられながらベッタリとついて回り、
その姿は、
まるで地に落ちた枯れ葉が雨に濡れて萎れ、
なんにでもベタっとくっついて張られない様に似ているところから生まれた言葉だ。
お陰様で私は独立して起業してから18年目を迎えているが、
「仕事に定年は在っても人生に定年などというものは無い」と、
常々感じている。
それに、
人生は「いつでも今が始まりの時」という、
決して揺るぐことのできない「原理原則」の中で生きている。
今は無き、
過去の若き日のことばかりに思いを馳せるのではなく、
これから先のことに「想い」を巡らして生きていきたいものだ。
そのためには、
いつも言っているけど、
目の前の「やれること」を死に物狂いで無我夢中で取組むことしか道は無い。