《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」 ー63ー
禅語には、
「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」という言葉がある。
人は本来、
何一つ身に付けることも無くこの世に生まれ出てくる。
それが私達の「本来の姿」で、
執着するものなど何もないはずという意味だが、
いつの間にか、
私達は誰かと比べ、
誰かと競い合うように、
あれもこれもと欲するようになり、
一度手にしたものは、
どんなことがあっても手放せないという心理に惑わされていく。
今の地位を職を失いたくない。
いまの財産を減らしたくない。
現実問題として、
食を失ったら生活はどうなるのかという課題は残るが、
それはそうなった時に考えれば良いだけのこと。
仮に職を一時的に失ったとしても、
私達は誰もが、
そこからまた始める力を持ち合わせて生まれてきている。
そういう余分な執着が”失敗”を恐れさせ、
自分の目先の照準を狂わせていく。
元来、
この世に”失敗”という現象など存在していない。
自分が諦めずにやり続けている間は、
”失敗”という現象は浮かび上がっては来ない。
『もう駄目だ!』と諦め、
自らさじを投げた時が”失敗”だ。