《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」 ー43ー
目の前に心配事が起こると、
なぜ多くの人は、
『どうしよう?どうしよう?』と口にしてしまうのか?
それは目の前に起こる問題(心配事)の状況が、
”自分が思い描く状況とは異なったモノ”
または、
”自分が望んではいない好まない状況だから”
この大きな思い込みがその原因だ。
こうなると、
まずたいていの人は、
その目の前の状況だけを、
自分が思い描く状況に変えようと躍起になりだす。
これも「原理原則」の中でいつも言っていることだが、
”問題”は解決するために出されるのではない。
”問題”はそこに潜む「答」を導き出すために目の前に出される。
例えば、
思わぬ時に”病”に襲われる。
暴飲暴食が原因で体調を崩し入院するようなことになると、
まず多くの人は落ち込む。
そして、
その”病”を何とか早く治して元の通りにしたいと願う。
ところが、
入院をして目の前の”問題点”だけは除去されても、
退院してまた同じような生活を繰り返せば、
また同じような状況下に陥るのは当然のことだ。
でもこういうことを繰り返している人があ多くいる。
つまり、
”病”の「答」は、
「正しい食生活と運動をする」という、
自分自身の「意志気の中」にあるということ。
その「答」を導き出さねば、
その”病”はやがて「病気」へと変化し手遅れとなっていく。
人生で向き合う
”問題”の「答」は概ね自分自身の中に潜んでいる。