《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー27ー
Kさんの演説から数日後、
私は地元の方々と、
瓦礫の片づけに毎日精を出していた。
そんなある日、
作業先で配られるパンを並んで待っていると、
すぐ後ろにあのKさんが・・・。
静かな口調で私に話しかけてきた。
『あんたどこから?
ボランティア?・・・・・・』
小さい村だからよそから来た人間はすぐに判る。
S先輩との関係を話すと、
『こっちさ・・・』と、
配給のパンと牛乳を手に手招きしてくれた。
肩を並べ、
瓦礫となった床柱の上に腰かけ、
パンを報張りながら、
私から話しかけた。
『おばあちゃんは・・・・』
『昨日、見つかった・・・』
そのまま会話は途切れたが、
お互いに何か伝わるものは感じられた。
するとKさん立ち上がりながら、
『あんた黙々とやるねぇ~』
『知り合いが少ないですから話す相手もいませんので・・・』
『そうかよかっなぁ~』
『・・・・・・・?』
『人は誰かといると自分を見失うことが多くある。
一人が良いのかも・・・わしも、
ば~さん失って初めて有難味が解った・・・・・』
そしてこうも続けた。
『わしらは死ぬ時も決まっておる。
わしが死ぬのは”死んだ時”じゃよ』
この言葉は、
その後の私の生き方そのものに大きな影響を与えた。
『どうなるんだろうか?』と、
起きてもいないことを案ずることほど愚かなことは無い。
『どうなるのか?』
私達の世界は、
いつでも「成るようにしか成らない」し、
「そうなった時がその時」なんだと・・・・・・。
それから7年が経過し、
Kさんは96で永眠されたが、
後でお聞きしたら3代前の村長さんだったそうだ。
”心にゆとりがある”とはこういうことをいう。