第4,072号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー30-

 

T君が電話でしてくれた話というのは、
自分がお子さんに向き合う姿勢の変化だった。

離婚というのは、
婚姻した二人の男女間に、
なにかこれからの生活に支障をきたすような問題や感情が、
どちらかか?
または双方に発生したときに起こるのが一般的だ。
ところが、
二人の間にお子さんがいると、
このお子さんの存在でまた感情が揺れ動いていく人が多い。
愛する子が、
他の家庭とは異なる形式で、
今までとは生活も一変していく中に飛び込ませるのは、
親の感情としては苦しいものがあって当然だ。

T君はもまた同じ感情で悩み続けていた。
『自分たちの身勝手で子供を”不幸にする”』・・・・と。
不幸にする”または”不幸にしてしまった”。
私から見ると、
これも親の勝手な思い込みだ。

私の別の受講生に既に離婚して25年を迎えるⅯ氏がいるが、
『なんでもっと早く解れなかったの?』
30近くなった娘さんにこう聞かれたとき、
彼は、
『それはお前がいたからだ』
こう応えたら、
お嬢さんから厳しい一言が返ってきたという。
『冗談じゃないわ。
じゃぁ~パパとママがずっと苦しんでいたのは私のせい?』と。
Ⅿ氏はこの言葉を聞いてはッとしたという。

もうお解りと思うが、
『子供のために!』というこの姿勢は、
全てが身勝手な”自我”でしかない。
お子さんにはお子さんの「人格」というものが別に存在している。
例え親子だろうが、
その「人格」を無視することはできないのだ。

T君は、
毎月毎月ご子息のJ君に手紙を書きながら、
この原理原則に気付いていったという。

人生道にはいろいろな歩み方や道があるように、
私達には一人ひとりに「人格」というものがある。
どんな「人格」が良いとか悪いとかいうのではなく、
自らの「人格」に責任を持って、
歩む人こそを”人格者”と呼ぶ

 

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