第3,943号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”考える”ということを考えてみる」  ー36-

 

人生や仕事で””を運んできてくれる「誰か」と出逢うには?
そのためには多くの人と知り合うことが条件になる。

私の場合は、
私自身のセミナー受講生だけで7,000人近くいる。
まっ、
そのすべての人達と、
密に連絡を取り合っているわけではない。
全く印象に残っていなく、
顔と名前も一致しない受講生も多くいる。
ところが、
そんな受講生が、
誰かに私のセミナーの話をしてくれる。
『〇〇さんとお会いした時に禰宜先生のお話が出て・・・』
でもその”〇〇さん”が思い出せない(すみません)。
それから私が作ったコミュニティーの一つ。
ミスター・スクール」という、
クラシックバレエのストレッチで体幹を鍛えるサークル。
ここでも多くの人との出逢いがある。

私にとってこうしたところで出逢う人達は、
私にとっての”人脈”ではない。

ところがこの”人脈”を目当てにコミュニティーに参加したり、
セミナーを受講しに来る輩も時々いる。

私はこの”人脈”という言葉はあまり好きではない。
10年以上前から学びに通っている「仏性セミナー」では、
人脈”というのは、
人間社会の中で最も下品な言葉だそうだ。
損得勘定だけのつながりで築かれていくのが”人脈”。
『お名刺だけでも交換させていただけますか?』
こう言って近づいてきた輩にろくな奴はいなかった(笑。
中には、
自分は会っていない人の名刺を知り合いから見せてもらい、
それを写メで撮影して、
あたかも、
『〇〇さんからご紹介されました・・・・です』といって、
営業を仕掛けるような愚か者もいた。

人脈”は築くものという人もいるが、
人脈”など築く必要などない。
築いていくならあくまでも「関係性」だ。

この「関係性」というのは、
お互いが、
素直に明るく正直に”向き合わない限り
築きあげてはいけない。

ミスター・スクール」というコミュニティーでは、
私のセミナー受講生が大半を占めるが、
そのスクールで毎回、
先生から一番お叱りを受けているのが、
他ならない私自身なのだが、
他のメンバーはそんな私の姿を見るのが楽しいから・・・・と、
通ってくる仲間もいる(笑。

私自身が、
セミナー受講生と「先生生徒」という垣根を超えた時、
彼らとの「関係性の第一歩」が記せたといえるのかもしれない。

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