第3,923号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”考える”ということを考えてみる」  ー17-

 

 

思考考える)」という行動と向き合う上で、
大切なことが他にもある。

それは・・・・・、
「良いアイディアを出す」
「優秀と言われるアイディアを出す」
「他人より凄いといわれるようなアイディアを出す」
「他には無いアイディアを出す」
・・・・・というようなことより、
純粋なアイディアを出す」ことだ。

思考考える)」とは、
そもそも素直な気持ちで自分と向き合うということだから、
照れくさくもなり、
恥ずかしさを覚えることもある。
無難なものでなければないほど、
まだどこも取組んでいなければいないほど、
形になっていないアイディアは、
つたなく、
青臭く、
非常識に思われ、
馬鹿にされやすい。

PCに向かって素晴らしい速さでキーボードをたたく姿は、
誰もが様になって見えるが、
白い紙を前に、
意味不明な言葉を書き連ねている姿はどこか滑稽にさえ見える。

思考」という作業は誰かに見せるものでもない。
大勢の人達にライブ中継するものでもないのに、
途中で照れくさくなるのは、
考えている目の前のことを『他人はどう思うか?』と、
自分の中にひとたび”観客”の存在を置いてしまうと、
子供のように純粋にそれに向き合うことが難しくなる。
『こんなことを提案したら笑われる』
『これは非常識だと思われるよなぁ~』
『もっとそれらしい案にまとめなきゃ』
こうした雑念(概念)に負けて、
思考」にブレーキがかかりはじめる。

アイディアには良いも悪いも無い。
使えるも使えないも無い。
必要なのは、
あくまでも「純粋な考え」だけだ。

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