《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「その受け止め方で決まる”言葉”の力!」-1-
今日からのシリーズは「言葉の受け止め方」。
時々、
いろいろな人のブログを見たりしていると、
「言葉」をまるで、
手品の仕掛け用具のようにとらえている人がいる。
例えば、
『お手伝いしましょうか?』
こういう言葉周囲との絆を深めるとか、
『ありがたいね!』
こんな言葉を普段から使っていると
自分を奮起させるようになるとか。
または、
「ありがとう!」をいうルールとか、
「いいねぇ~!」と声を掛け合うルールとか、
そういうものを組織の中に作ることで、
組織は活性化されるとか。
言葉ってそうなんふうに使うものなのでしょうか?
例えば《礼》という言葉。
礼儀礼節とか、
礼式とか、
どこか”相手に対して”の言葉のように受け止められていますが、
実は《礼》とは、
己の戒めのための言葉。
人としての踏み行うべき道を指した言葉。
相手に無礼の無いようにとか、
相手の喜ぶ顔を見るためとか、
そんなレベルで解釈している人もいるが、
それは大きな間違い。
こうした単語のみならず、
名言なども同じ。
それを読み取るこちら側の
受け止め方で、
その内容は大きく変わってきてしまうもの。
「言葉」の中に在る”原理原則”を紐解くように、
様々な名言や言葉の中から、
その「本質」を追いかけてみるシリーズ。
第1回目の今日はこの言葉。
≪挑戦しなけれ できるかどうかなど判らない!≫
あなたはこの言葉をどう受け止めますか?
簡単な”原理原則”を語っている言葉ですけど、
まったく理解できない人が多くいます。
まず、
「できること」と「やれること」、
その区別さえつかない人もいる。
手が動かない、
足が動かせない、
声が出せない、
聞こえない・・・・・。
世の中には、
「やりたくてもやれない人」たくさんいます。
私はこの言葉を、
そんなふうに受け止めてから、
何事も挑戦する前に
『できない!』という言葉を吐き出すことだけは止めようと。