《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -22-
「選択」と向き合う時にはいろいろな状況がある。
レストランでメニューを”選択”する。
ゴルフ場を”選択”する。
こういったレベルなら、
その基準はそれぞれの「感情基準」で十分だ。
好きとか嫌いとか、
好みとかそうでないとか。
安いとか高いとか、
遠いとか近いとかといったレベル。
ところがこれが仕事や、
就職、
結婚・離婚などとなると「別の”基準”」で測らないと
時に大きな過ちを犯しかねない。
「感情基準」で物事を測ると、
人は自分の持つ嗜好や愛着、
執着、期待、願望、経験や知識が
”正しい!”と思い込む傾向が強い。
食べ物がそうでしょう。
『こりゃぁ~美味い!』というのは、
その味が、
自分の好みに合っているということで、
決してそれ自体の美味い不味いを測れているわけではない。
だから、
『これ美味いから食ってみろよ!』といわれて、
口にしたのは良いけれで、
とてもじゃないが、
『これのどこが美味いんだよぉ~』と
言いたくなったような経験あるでしょ。
それからこういうことも言える。
『これは美味い!』という人に、
『その”美味い”とはどういう意味?』と尋ねてみるといい。
”美味い”は言葉では表すことが難しい。
だから、
食べ物で”美味い不味い”を語っているような人は、
まず食通とは言えない。
「直観」というのは、
こういう基準とは
全くレベルの違うところから生まれて来る。
私はこれで何回も救われた経験がある。