第3,402号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”現象”に惑わされず「本質」を見る!」 -6-

 

私たちは普段、
石膏像のように目に見える物質だけではなく、
耳にすること、
手で触れること、
嗅いだ匂いで感じることなど、
五感”で感じることがすべて「真実」で、
正しいことだと思い込んでしまいがちだ。
それだけじゃない。
有名な人だから大丈夫。
いつもCMに出てくる会社(お店)だから大丈夫。
あの有名な雑誌に載るようなところだから・・・・。
行列のできるお店だから・・・。
一流企業といわれるところに勤めているのだから・・・。
こうやって、
自分の”思い込み”をいつの間にか、
世間一般の基準であるかのように勘違いしているところが
いかに多くあることか。
そしてそれに振り回され始めると、
『あっちでは〇〇といっているのに、
こっちでは△△だと違った意見が飛び交って、
どっちの言っていることが正しいのか?』
いったい何を信じればいいのか?わけが分からなくなり、
『誰かいい加減、教えてくれよぉ~!』と、
叫びたくなることだってある。
でも実は、
物事には万物に共通した絶対的な正解本質)は無いといえる。もしあるとすれば絶対的な正解よりも、
「ちょっと正しいけど何か違うよね?」
「今はそうかもしれないけど変わるかもね?」
こういう昧な”正解らしき”ものが存在しているにすぎないような気がしてならない。

オーストリアの精神分析学者であるジークムント・フロイトの言葉にこういうのがある。
成熟するということは、今を受け入れる能力を持つこと
であると。

さまざまな意見が飛び交う情報の中から、
たった一つの「本質」を探し求めようとすると、
いつの間にか、
自分が今ある目の前の状況に振り回されるだけになる。

石膏像の周りを回って観察するのと同じように、
1つの出来事現象状況情報)に対して、
さまざまな角度から観察すること。
その目の前の物事を単に変えようとするのではなく、
特に、
自分自身の足元をしっかりと観察するところから始めることが、
本質」に近づく大切な一歩といえるのではないだろうか?。

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