《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -33-
当時、
日経連という組織の中に、
「社内報評価会」というのがあって、
全国の企業の社内報を一堂に集め、
年末になると、
その年の”最優秀社内報賞”というのが決められていた。
でもいつも上位10社は決まったように大手企業。
百貨店業界ではあの新宿のI社だけがその中に入っていた。
私が担当して始めた頃、
我が社の順位といえば、
2,500社の中で1,500位くらいを行ったり来たり。
毎年の表彰パーティーでは、
入賞している企業さんからは社長さんまで参列されるのに、
我が社にはいつも2名分の招待チケットしか来なかった。
上司と参列しようと思ってお誘いしても、
『この年末の忙しい時にそんなとこ行ってられるかぁ~?』と、
結局は私一人での寂しい参列が続いた。
そして1981年、
新潮社という出版会社から、
あの”フォーカス”という「写真週刊誌」の第1号が出た。
この雑誌は衝撃的だった。
見開きページの全面が写真。
文字はそんな写真の中にの片隅に、
申し訳なさそうに並んでいるだけ。
へたくそな文章を並べて読まそうとするよりも、
衝撃的な写真を前面に押し出して、
読者がその写真から、
自由な発想でイメージを広げ読んでもらおうというスタイル。
まっ!内容は芸能関係が多く、
過激な記事で引き付けることを狙っていたように感じたけど、
爆発的に発行部数を伸ばしていった。
私はこれを社内報にパックった(笑。
毎月、表2の隣のページは社長の月初講和と決まっていたが、
ある月、
これを2ページ目から3ページ目にわたる見開きページに移行し、
その月の社長の姿を”フォーカス”した写真を大きく載せた。
毎月毎月、
チョッと斜めに構えた社長の写真。
どんな社長なのか?
まったく窺い知ることすらできない、
証明写真のようなつまらない写真だつた。
こんな写真を使うのを止めて、
社長が社員食堂でラーメン食べている姿とか、
社内の売場を巡回している姿とか、
ご自宅近くの商店街で買い物している姿とか、
そういうのを大きなサイズで、
毎号代わる代わる載せていった。
最初は上司から猛反対を受けたけど、
『こんな文字ばかりの社内報誰も読みませんよ!』と、
またまた生意気なことをいいながらごり押し(上司もご苦労されたと今では思う・・・・)。
カメラの望遠レンズも購入してもらい、
社内報担当者というよりはもう”パパラッチ状態”だった(笑。
最初に出した時は大反響だった。
従業員からは、
『〇〇ページに掲載された△△部の誰々ですが・・・
家族があの写真が欲しいというので頂けないだろうか?』とか、
社外からの反響も大きく、
『紳士服売場の写真に出ていたお嬢さんさんだけど・・・ぜひ、内の息子の嫁に・・・・』という話まで出たほど。
そしてまた、
予想もしなかった事件が起きた(笑。