《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -24-
”仕事”というのは、
会社のために取組んだり、
自分の評価を上げて
収入を増やすために取組むものではないということ。
私に家系は、
「禰宜」という家柄から、
神職を1,200年以上も続けているので、
本家には「神語全書」というのがある。
そこには”仕事”についてこう記されている。
”仕事”の「仕」も「事」も“つかえる”という意味があるが、
これは神と崇めるものや、
神社という組織につかえることではなく、
己自身の「在り方」につかえる姿勢をいうとある。
一言でいうなら、
《”仕事”は「武道」なり!「神道」なり!》
武道は、
相手に勝つことより、
自らを鍛えるために存在する。
誰かの役に立とうとかいう、
上から目線のものでもなければ、
誰かよりも術を身に着けようという、
相手と比較するようなものでもない。
昨日よりも今日、
今日よりも明日の自分が、
1㎜でも1㎝でも前に進めているかということだけが問われる。
真の武道には審判は存在しない。
見えること、
聞こえること以外に、
お互いがそれぞれに、
その勝ち負けを認識しあって結果が決まる。
誰かの評価とか、
誰々よりも上か下か?とか、
伝わったとか伝わらないとか、
そんなレベルのことを指しているのではないということ。
ましてや、
己の行いが、
他の者より勝っているとか、
そんな低い基準に置いていたら、
それは、
”仕事”ではなく、
ただの作業パフォーマンスを演じているだけ。
常に自分目線で、
しっかりと”やれること”を真摯に受け止め、
愚直に取組む姿勢だけが、
所属する組織そのものにも良い影響を与える。
49年前に、
高校を卒業して社会人になる時、
この話を死んだ父からされた記憶がある。