《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「私達は多くの”思い込み”に左右されている!」-27-
今日は人生を生きていく上での”思い込み”。
人生の価値というか、
人生の目的というか、
そういうものはいったいどんなところに在るのか?
会社の経営者でもチャランプランな人はいる。
どこぞの大きなマスコミ会社の会長さんなんか、
なんで、
あの人が多くの従業員のトップにいるのか?
疑いたくなるような人格。
どこぞの先生と呼ばれる政治家さんも。
逆に、
万年平社員でも、
お金持ちではなくても、
いつも満たされた人生を送られているような方もいる。
私達はどうも、
人生というものを
「生活」という切り口からしか
見えていないことが多くある。
美味しものを腹いっぱい食べたい。
出世してお金を稼いで
贅沢したい。
高級車に乗って、
大きな家に住んで・・・・と。
悪いこととは言わないけれど、
そういうところだけにゴールを置くと、
人生は「生活人生」になってしまう。
仕事だってそうだ。
目的は”お金を稼ぐこと”だけど、
それだけでは
モノ以外は何も残せない。
大切なことは、
仕事を通して、
自分の”存在意義”が見いだせるかどうか?
これを「存在人生」という。
「人生とは生活を送るだけの時空間にあらず、
自分の存在価値を確認するための試練の時空間」
死んだら、
どれだけの人達が香典持ってき来てくれるかで、
その人の「価値」など決まらない。
死んだら、
『あぁ~あの人と出逢えて良かった!』と
どれだけの人に思ってもらえるか?
これが本当の「価値」のような気がする。
こんな”思い込み”に
どれだけ早く気付けるかで人生は決まるのかも?