第2,462号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生”やれること”を悔いなくやり続けよう!」 -4-

 

”学び”について、
その「原理原則」をもう少し紐解いてみよう。
私達にとって、
”学び”の入り口はまず両親。
そして小学校、中学校。
小学校はその昔、
”尋常(じんじょう)小学校”と呼ばれていた。
その「尋常」という意味だが、
いつの間にか、
特別ではなく当たり前である様。
普通のとか、
当たり前のことというように捉えられているが、
実はそうではない。
「いかなることがあっても常と変わりなく、
平素からしっかりとした覚悟を持っていなさい!」という意味。
これを”常を尋ねる”という。

”常を尋ねる人材の育成場”
これが小学校の正しい「在り方」だった。
つまりは、
人格の陶冶(とうや)・鍛錬をするのが小学校だった。
これがいつの間にか、
知識だけを詰め込み、
有名大学につながる
有名中学に入るための場になってしまってきた。
だから、
戦後は20歳近くになっても、
礼儀・礼節もわきまえない若者が増えてきて、
その子となると、
身勝手極まる人間が増えてきているようだが、
これは私達の世代の責任といえる。

人というのは、
子供の頃ほど素質が豊かで、
姿形は幼稚に見えても、
その感性は大人が失ってしまっている大きな宝を持っている。
なによりも、
素直であり、前向きだ。

今のビジネス社会における人材育成も、
まずは”常を尋ねる人材育成”を心がけていかないと、
小手先の術だけに頼り、
自分の評価だけを気にしながら
仕事に取組む人間が増えるだけになる。

難しい言葉が今回は並んだが、
”学ぶ”ということは、
決して難しいことではない。
教えていただいたことを、
ただただ、
行動という形で”継続”することだ。

明日のブログでは、
多くの人が苦手とするその”行動継続”の話を!

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