第2,402号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的はここにあった!” -6-

 

人生もビジネスも
”目的”の陰に隠されている
「意義」を見つけられないでいると苦しくなる。
なぜなら、
”目的”という「現象」だけを追いかけることになるから。
いっそのこと、
「人生には目的なんかなかったんだ!」
こう考えるのも一つの考え方かもしれない。
だって、
私達人間もある側面から考えればただの動物。
天から命をいただいて、
役割は、
その命を全うして受け継ぐだけ。
こう考えると、
他人と比較し、
他人と競い合うことも無くなるかも?

鮭は産卵が終わると数日で死を迎えるという。
産卵を終えて、
川を上りながら、
ボロボロな身体を、
熊に食われたり、
人間に捕獲されたりして、
他の動物の命をつなぐ役割を持って終えていく。
そんな彼らは、
”鮭の一生”の目的など考えているだろうか?
子孫を残し、
熊の命をつなぎ、
人間の命をつないでいるという点から考えると、
立派にその役割を果たしているように感じるし、
それこそが「意義」じゃないのかな?

多くの動物は、
生殖のところで死を迎え、
子の成長を見届けるほど長くは生きない。
そういう意味では、
私達は子供が成人してからも
その様子を見ることができる
動物の中で
数少ない特殊な存在なのかもしれない。
ただ、
それが良いことか?
嬉しいことかは別のことになるだろうが。
見ることができるからこそ、
不安や心配も生み出されていく。
そんなところにも、
人としての
人生の「意義」が存在しているのかもしれない。

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