第2,336号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「未来はチョッとしたことで変えられる」 -26-

 

どうして?
次から次にこう”問題”が起きるのだろうか?
こんな気持ちになることは誰にでもある。
そして、
多くの人が、
その目の前に起きる”問題”に振り回されて、
後でこう口にする。
『あの時にあんなことが無かったら・・・今頃は・・・』
でも、
”あの時にあんなことが無かったら・・・・”
今のあなたは、
ここにいなかったかも。
こちらの方が正しいとらえ方!

今日は毎日のように、
目の前に起こる”問題”に翻弄されている人へ!

何年前だったかな?
なんという人が書いた本か忘れたけど、
「ダライ・ラマに恋して」という本を読んだ時、
巻頭に、
チベットの法王ダライ・ラマの言葉が書かれていた。
それはこんな言葉だ。

「いかなる逆境に陥ろうとも、
また、
いかなる災難に遭遇しようとも、
全ては束の間のことである。
こう物事を捉えるようにすることです。
水たまりのさざ波のように、
それらが、
生じては消え、
生じては消えするだけで、
私達の人生には、
そうしたことが繰り返し繰り返し起こり、
決して終わることのない定めなんです。
一つの問題が現れては過ぎ去り、
そしてまた間もなくすると、
別の問題が現れ出してくるのです」

確か・・・こんなことが書いてあったと記憶している。

なんでなのだろうか?
私はこの時に、
人が生きていく人生の”意義”のようなものを感じた。

それは・・・・、
「人生は”試練の連続”で試されている」ということ。
そう!
まるで本試験の前の予備試験のように。
本試験はきっと死を迎える時に来るんだろう。
つまり、
目の前に”問題”が起こらなくなったと感じた時は、
もうそこまで
死神様が迎えに来ているということかも?

そう考えたら・・・・、
毎日毎日、
問題が起きていた方が、
もしかしたら・・・良いかも?

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