《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「未来はチョッとしたことで変えられる!」 -2-
「未来」に夢や希望を持つことは、
悪いことではないが、
私は、
”夢”や”希望”というものは、
追い求めたり、
叶えたりするものではないと自覚している。
ましてや、
モノや、
地位、
名誉といったものを追いかける夢や希望は、
それ自体が、
すでに夢や希望ではなく、
単なる物欲にすぎない。
夢や希望は、
追い求めるのではなく、
今この瞬間瞬間に、
自分が”やれること”のみを、
愚直に、
一所懸命に取組んだものだけに、
その後ろから、
少しづつ少しづつ着いてい来るもの。
私はこうとらえている。
では、
私達の「未来」に存在するものは
果たして何なのだろうか?
夢でも希望でもないのなら、
なんだか、
先行き不安になってきてしまう。
それに、
「未来」が一寸先も霧の中にいるように
全く見知ることが不可能なら、
明日はおろか、
一瞬先の世界だってやってくるのか?
『今度やります!』
『明日やります!』
こんな言葉も軽く使いまわしている私達。
でも、
明日が来る保障などどこにも無い。
なのに、
私達は、
先を不安視ししながらも、
こういう言葉を軽く口にする。
人間というのは全く身勝手な生き物である。
この”不安”が生まれる原因はただ一つ、
「知らない、判らない」という意識から生まれる。
変えられない”過去”に振り回され、
知り得ることができない「未来」を探る。
愚かな行為そのものだ。
では、
そんな「未来」には何が待っている?
それは・・・明日のブログで。