第1,850号・ブログ

《“ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》

2016年新しい年の幕開けです。

年の初めなのでスタートと同時に
本年第1号(通算1,850号)のブログをお届けします。

たった、
地元の氏神様に信念の御礼詣を済ませてきました。
小っちゃな地元の氏神様でも、
さすがに正月はお参りするのに列をなしていました。

私の前に並ぶ若者がこんな願い事を。
『どうか今年こそは良いことがありますように!』
実は、
初詣こうお願いごとをすること自体が無意味なことなんです。

私達の人生というか、
毎日の日々は、
恐らく多くの人が、
自分の思いどおりにいっていないと感じていると思います。
ところが、
実のところ、
上手くいっていないように見えるだけで、
上手くいっているんです。
全てのことが。
実は良いことばかりなんです。
今までも、
そしてこれからもね。

だから、
『今年こそは”良いことがありますように!”』とお願いするのは、
さらに欲をかいて、
『自分の思いどおりになりますように!』と
厚かましいお願いをしているようなもの。

それも10円か100円。
良くて500円のワンコインで(笑)

そして神様がこう仰っているでしょう。
『まだ気付かんのか”足元の幸せ”に!』と
眉間しわを寄せて、
かなりお怒りでキレががっています(笑)。

2015年・・・どうでしたか?
思いどおりには成らないことが多かったかもしれませんが、
無事に新しい2016年を迎えられたではありませんか?

昨日のブログでもお話ししたように、
”初詣 己の願い語るべからず!”です。

『無事に年が越せました有難うございます!』
これを伝えることなんです。

そして、
無理をしないで、
自分じゃない自分を演じないで、
目の前の”やれること”だけに集中して、
愚直に
無我夢中で取り組む。

そうすれば、
2016年もまた、
神様は良いことだけを与えてくださり、
上手く1年を過ごさせてくれます。

大切なことは、
私達自身がそれに気付くか?気付かないか?です。

さぁ~!
明日のブログから、
また《気》のシリーズを後4回、100回までお届けします。
私達の”命”そのもの《気》。
この使い方。
もう一度、
2016年走り出しましょう!

今年もよろしくお願いいたします。

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