《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー239-
世の中には多くのサプリメントが出回り、
そういったものに頼って生きる人も多くいるが、
そのほとんどは”肉体主体”のモノでしかない。
でも、
人生は”肉体主体”で生きると真の「生きる力」は衰えてくる。
ところが、
天風哲学では「”肉体”を自己と思うな」と強く伝えている。
”肉体”の痛み、
”肉体”のだるさは、
「自分そのもの」が痛みを持っているのでもなければ、
だるさを持っているのでもない。
それは、
自分が生きていくために必要な「”肉体”という道具」が持っているもので、
言い換えるなら、
歩くために必要な靴が傷みだしてきた。
着古した服が疲れはじめてきたのと同じこと。
履き古した靴を見て、
『あぁ~○○が痛いよぉ~』と、
自分の頭や腹を指する人はいない。
”肉体”は命を預けている道具。
だから、
いつもこれを「客観的」に見て捉える必要が肝心だ。
私達の”肉体”は、
私達の「命」そのものではないということを知ること。